さらざんまいと私

あの頃、ここじゃないどこかへ行きたかった

「さらざんまい」11皿

この台詞を聞いたとき、この作品は自分のためのものだとわかった。
自分「だけ」のためという意味ではない。きっと私とはぜんぜん異なる人にも届いているんだと思う。それが愛おしい。
でも私が受け取った「さらざんまい」は、私だけのものだ。


あの頃、私は変わりたくてしょうがなかった。
なにかになりたいとか、憧れたあの人みたいにとか、そういうのだったら綺麗なのに、私はそうじゃなかった。私はとにかく私以外のものになりたくて、ぐちゃぐちゃだった。

もうその渦中にはいないし、片時も忘れられないということもない。だけどはずみで思い出してしまうと、しばらくはそれに囚われて前が見られない。自分の脳がやっていることに違いないのにどうしようもなくて、嵐のように過ぎ去るのをただ、待つ。
そういう自分を誰にも打ち明けたことはない。
その時のことを変えることはできないし、言って忘れられるものでもない。何より実生活には困ってない。だから誰にも言わないでいる。
一人で抱えてくんだろうなと思っていた。大した重さでもないし。
さらざんまいは、そこに、寄り添ってくれたような気がした。そんなものが現れるなんて、思いもしなかった。


人生はつらく険しいかもしれないけれど、それでも。大切な人と良好なままとは限らないけど、それでも。今までがどんなに自分を苦しめようと、それがどうした。
一稀が、燕太が、悠が、いや。
さらざんまいを受け取った私自身が、そう言ってくれる。

生きる勇気をくれてありがとう、さらざんまい。



"いつか誇れる" なんて、無責任だと感じる人がいるかもしれないけれど、大好きなロックバンドの歌詞で結ぶ。

どうしても消えないままの 残酷時計は
真実を指してるから 厳しくも見えるだろう
だけどいつか 誇れるくらいには 人生はよくできてる
だから、生きてほしい!

Invisible Sensation - UNISON SQUARE GARDEN