ゼロの執行人の降谷零はなぜ格好良いのか

 

※犯人のネタバレを含みます

 
 
 
本題に入る前に"格好良い"という表現について話しておきたい。というのも、執行人の彼を単に格好良いと言うのは、あまりに多くのものが抜け落ちてしまう気がして、とても嫌だったからだ。
 
「アイドルの○○くんカッコイイ」と
「○○くんのアイドル業に対する姿勢がカッコイイ」では、
カッコイイの意味合いは違わないだろうか?
 
執行人の彼に向けたいのは黄色い歓声ではない。
 
4月13日に『ゼロの執行人』を観てから今なおずっと、降谷零に感じたものを形容する言葉に迷い続けている。タイトルは便宜的に付けただけだ。
しかしその気持ちを抱いた要因は言語化できるのでは、と試みたのが今回のブログである。執行人の降谷零の言動からこれを探っていこうと思う。
(ということでこれは個人の感想文であって、多くの人が熱狂している理由を分析するものではないことをお断りしておく。)
 
 
さて今回、降谷零が不穏な動きを見せることは、公開前から明らかになっている。特報(PV)でも、「今回の安室さんは、敵かもしれない」というコナンの台詞が使われている。
 
ここでの敵とは、毛利蘭に害なす存在とみることもできるし、バトルビジュアルに使われていたコピー「Truth VS. Justice」を踏まえると、真実を捻じ曲げようとする存在とみることもできよう。
 

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バトルビジュアル(劇場版「名探偵コナン」公式HPより)
真実を捻じ曲げようとする存在=「敵」は、ゼロの執行人において複数登場する。彼らを比較しながら話を進めていく。
 
「敵」は次の3者だ。
・降谷零
・日下部誠
・橘境子
彼らがそれぞれの目的で動くことで話は複雑化すると同時に、それらが明かされるパートが、話の見どころともなっている。まずは降谷零以外の二人について整理する。
 
はじめに、犯人である日下部。
公安警察の力を削ぐため、サミット会場を爆破し、さらに宇宙探査機の落下を試みる。
その動機は、公安検察として正義を為すことだった。
それを聞いたコナンに「正義のためなら人が死んでもいいっていうのか」と問われ、「民間人を殺すつもりはなかった」と答えた。日下部は、探査機の落下地点である警視庁から人を遠ざけるため、停電やIoTテロをも起こしていた。コナンが「それでも、だれかが犠牲になる可能性は十分あったはずだ」と咎めると、「正義のためには多少の犠牲はやむを得ない」と主張する。
 
次に橘境子。
境子は公安警察への恨みから、無罪にするよう頼まれた被疑者を有罪にしようと画策していた。
このことを知ったコナンに「無関係な人たちを巻き込んで!?」と非難されると、「仕方なかったのよ」と返す。
 
 
注目してほしいのが、それぞれに向けられたコナンの台詞だ。
「正義のためなら人が死んでもいいっていうのか」
「無関係な人たちを巻き込んで!?」
これらはそのまま、降谷零に当てはまる。
 
一つ目は羽場二三一の件。
本当に殺した訳ではなかった。しかし、羽場の家族から、日下部から、境子から、羽場を奪ったことに変わりはない。
尻拭いのできない公安検察が、再び違法作業することのないよう、降谷は羽場の存在を抹殺した。公安の正義のために。
 
二つ目は毛利小五郎と、その周りの人物の事。
公安の手札を増やすため、テロとは全く無関係である毛利小五郎を巻き込んだ。そのせいで毛利蘭やコナン他、周りの人々は、事件に振り回されることになる。
 
申し分の無い敵っぷりである。
だけど、この二人とは決定的に異なる部分がある。それはコナンの台詞にたいする応答だ。
日下部は「やむを得ない」、境子は「仕方なかった」と言い訳めいている。
しかし降谷はどうだろう。
テロリストを捕まえるためにはやむを得なかった、とか、国のために仕方なく、などとは決して言わない。
そもそも降谷は、理由を話すつもりはなかったように思える。「なんでこんなことするんだ」「まだ解けてない謎がある」「どうして小五郎のおじさんを巻き込んだの」までいって、ようやく明かしてくれるのだ。一度は「携帯、さっきからずっと光ってるよ」とはぐらかしさえする。スーパーヒーローたるコナンだからこそ辿り着けた答えであって、コナンがいなければ、彼は悪役で居続けるはずだった。羽場の時、公安部の風見にさえ人殺しだと思われていたように。
だからコナンに問われても「僕には、命に代えても守らなければならないものがあるからさ」と、信念を話すにとどめるし、ラストになっても「君の本気の力が借りられるだろ?」と、聞かれたことだけに答え、一切弁明はしない。
 
これはつまるところ、覚悟の違いである。
作中、降谷零は「正義」という言葉を一度も口にしない。
自分は正義じゃなくて良いのだ。悪人だと思われたって構わない。
行為には最後まで責任を持つ。命を賭してでも。
 
 
初見でこれら全て意識できていた訳もなく、無意識だってどこまで理解していたか分からない。
けれども、「僕の恋人は──」に、こういった覚悟、生き様、信念を、感じ取ったのではないか。
だからゼロの執行人の降谷零は格好良い…というか美しい…いや気高い…………
ううん、彼に対する気持ちを何にも当てはめたくないかもしれない。